LOGIN「三日森くん。三日森くん、起きて。駅に着くよ」
身体を揺すられて僕は目を覚ます。
なんだか柔らかくて心地良いところに頭をのせているようで、できることならもう少し眠っていたかった――と考えたところで、僕はぎょっとして目を見開いた。 目の前に月子の顔がある。 もっと手前に膨らんだ二つの、いわゆる母性の象徴がある。 つまり、この体勢は紛うことなき、膝枕――だった。「うわぁぁぁっ、ごめんなさいっ」
慌てて飛び起きると僕は自分の膝に両手をのせてお行儀良く座り直す。
それを見て月子が笑った。「気にしないで。こんなときなんだし」
月子はスカートのしわを伸ばしながら立ち上がると、僕に右手を差し出してきた。
今日は何度も僕にふれてくれた白くて柔らかい手だ。それを取って立ち上がると、列車は程なくして目的の駅に到着する。 扉が開くと、むせかえるような外の熱気と夏のニオイが全身を包み込む。燦々と降り注ぐ陽光の下、駅の屋根が落とした影がホームの床に白と黒のコントラストをくっきりと浮かび上がらせていた。 セミの大合唱が鼓膜を揺らし、またもや頭がクラクラして足下がふらついてしまう。それを月子は当然のように支えてくれた。 彼女に介護されながら歩き始めると、僕は駅の階段を上ったり降りたりして、ようやく改札をくぐる。いつもは何気なくやってることが一苦労だ。「うぅ……格好悪い」
「また言ってる」月子に笑われて僕は赤面した。いろんな意味でばつが悪い。誰にも頼らないなんて言っておきながら、僕は今日だけでどれほど月子の世話になったことか。
なんだか誤魔化したくなって僕は投げやりに挑発的なことを口にする。「ああ、ここに居るのが君じゃなくて彼女だったらなぁ」
こんな失礼なことを言われて月子はきっと怒るだろうと思っていたのだけど、まったくその様子もなく、ごく自然に言葉を返してきた。
「それを実現するためには、まず告白しないとね」
あてが外れた僕は、やむを得ずそのまま話を続ける。
「告白はしないよ」
「どうして?」以前とよく似たやりとりだ。
何度言われてもやっぱり僕は自分の恋に納得がいかない。名前も声もなにもかも知らない相手を、どうして好きになったんだろう。 その説明をまた繰り返そうとしたところで、月子がとんでもないことを言った。「他の男に寝取られてもいいの?」
「…………」絶句して月子の顔を覗き込む。なぜか彼女は真顔だったが、この一瞬は本気で身体の具合が悪いことを忘れた。
「なっ、なっ、なんてことを言うんだよ、君は!? 女子高生にあるまじき発言だ!」
「どうにも君は想像力が足りないみたいだからね。自分が恋人にならないってことは、いつかは必ずそうなるってことでしょ? 彼女みたいな美人はとくに」 「そ、そ、それは、その……」確かにそうかも知れない。そこまで考えてなかったことも認める。
だけど、いま僕を支えている君の胸が僕の腕にあたっているこの状況で、そんなことを言い出しますか? 変な気持ちになったらどうするんだ? 誘惑か? 誘惑なんですか!? まさか、このまま僕を家まで送っていって、誰も居ない家でふたりっきりで――て何を考えているんだ僕は!? 変態か!? 変態だったのか僕は!?「えーと、なんかごめん。そんな壮絶な顔をするなんて思わなかったから……」
心底申し訳なさそうに言われて、僕はガクッとうなだれた。
壮絶な顔ってどんな顔なんだろうと思いながら……。◆
長く広い坂道を僕は月子に支えられながら歩いていく。このあたりには木陰もなく、照りつける陽射しと、焼けたアスファルトから立ち上る熱気で、蒸し焼きにされそうな気分だ。麗しの我が家まであともう少しだが、そのもう少しが今はなかなかにキツイ。
僕に肩を貸しながら歩く月子は物珍しげに辺りを見回しながら、独り言のように言う。「海辺の町か。いいところに住んでるわね」
坂の向こうには入道雲が浮かんだ青空と、その下に広がる青い海が見事なパノラマを演出している。景観だけ見れば実際いいところなのだろう。
でも、ここで暮らすとなると、いろいろとたいへんなことが多い。僕は重たい足を引きずるように前に出しながらボソリと言った。「塩害って知ってる?」
「ああ、そういえば金属が錆びるんだっけ?」 「うん。それ以外にも色々とね」自転車やエアコンの故障はもちろんのこと、家にはダメージが出るし、洗濯物にも悪影響が出る。風は強いし水害は恐いしと、メリットよりもデメリットのほうが多いのではなかろうか。
少なくとも僕は、早めにこの町を出て行きたいと思っている。それはもちろん過去にあんなことがあったってのが最大の理由だけど。 物思いにふけりかけた僕の隣で月子が残念そうに言った。「そっか、潮の香りはステキだし、景色もこんなにいいのにねぇ。まあ、デートには最適って気もするけど」
しみじみという月子に、僕は思いついたことを聞いてみる。
「そういえば、月子の家ってどこなの? あの日はいつの間にか車内に居たけど」
「わたしは茜川」 「へ?」 「学校のすぐ近くよ」 「け、けど、前に……」 「あの日は祖父の家に泊まってて、そこから直接学校に行ったからね」 「てことは電車通学ですらないのに、わざわざこんな所までの切符を買って……」 「お金を出すとか言ったら怒るからね」 「で、でも……」 「君はもう少し、人の善意に慣れたほうがいいわ」 「…………」今さらながらに僕は後悔していた。あんなことを話すんじゃなかった。どう考えても格好の悪い昔話なのに。
「ねえ、月子……。できれば、あの話は……」
「誰にも言わないわよ」 「いや、それはもう疑ってないけどさ。できれば忘れて欲しいかなって……」 「格好悪いとか思ってる?」 「悪いでしょ?」 「それはないわ。だって君はただの被害者だもの。格好いいとか悪いとか、そういう次元の話じゃないわよ。それとも……」月子はわずかにうつむいて少し考える仕草をした。そして顔をこちらに戻すと、やや上目遣いに僕を見つめて口を開く。
「君は何かを恥じているの?」
言葉を見つけられずに僕は黙り込んだ。
月子は答えを急かすことなく僕を支えたまま歩き続ける。 日差しの強さとむせかえるような熱気。潮の香りをのせた海からの風が、それらをやわらげてはいたが、快適には程遠い。セミは相変わらずけたたましく鳴き喚いている。 けっきょく僕は最後まで黙り込んだまま家まで歩きつづけた。 やがて姿を現した見慣れた門扉をくぐると、惰性のまま鍵を開けてドアノブを引く。「それじゃあ、ゆっくり静養するのよ」
玄関に入ったところで月子は言った。
「うん……」
僕はぼんやりと頷く。
月子の問いかけへの答えを見つけられないことが気になっていた。『君は何かを恥じているの?』
たぶん――いや、間違いなくそうだ。
なのに、それがなんなのかわからない。あるいは忘れてしまったのか。 頭を抱えようとして、僕はまだそこに月子が立ったままでいることに気がついた。 すぐに出て行くかと思ったけど、相変わらず自然な笑顔を浮かべて僕をじっと見つめている。不思議そうに見返すと、彼女はゆっくりと話しかけてきた。「ねえ、三日森くん。わたし達ってまだ高二だよ。見てないものも知らないものも、世界にはまだまだたくさんある。どんなことであれ、結論を急ぎすぎる必要はないんじゃないかしら?」
なぜ急にこんなことを言われたのか――なんて首を傾げるほどには僕もマヌケじゃない。
同時にようやく理解していた。僕の昔話を聞き終えたあと、月子がすぐには何も言わなかったわけが。 それはちゃんと考えてくれていたからだ。 当たり障りのない慰めの言葉を口にすれば簡単に済むのに、わざわざ月子はあんな面白みのない話を咀嚼して、僕にかけるべき言葉を選び抜いてくれた。 月子の言葉の意味は、こんな僕にも理解できる。 あの事件を切っ掛けに、僕は誰も信じない、誰も頼らない、誰もアテにもしない。なんてルールを作って自分の生きかたを曲げてしまったけど、そんな判断を下せるほどには、僕は世界のことも人間のことも、よく知っているわけじゃなかった。 少なくとも、ここに月子が居る。 僕はそれを知らなかった。知っていれば、あんな決めつけはできなかっただろう。「ありがとう」
自然と、その言葉がこぼれ落ちていた。
「考えてみるよ」
今さら急に生き方を変えるなんて難しい。それでも――
「考えてみるよ。もう少しだけ、ちゃんと世界を見てみる」
「うん」僕の言葉に月子が嬉しそうに笑った。他に好きな人がいる僕にとっても、それはとても素敵で魅力的な笑みだった。
公園で爽子にすべてを話し終えたとき僕はまた泣いた。背中から回された彼女の両腕が僕をぎゅっと抱き留めてくれている。「爽子、僕は本当にバカな男だ」 「ええ」 「本当はずっと昔に月子に救われていたのに、それを忘れてよけいな面倒をかけていた」 「ええ、そのとおりね」 頷く爽子。だけど、その声はやさしい。「月子はずっと僕を覚えててくれたんだろうな。何度もヒントをくれていたのに僕はそれに気づかないままで……」 「いい人ね、彼女」 「うん」 頷いて月子の顔を思い浮かべる。 いつも明るく笑っていたけれど、本当は彼女こそがいちばん傷ついていた。それはきっと冷たい雨に打たれ続けるような凍えるような痛みだったはずだ。 それなのに彼女は自分の痛みをそっちのけにしてまで僕に手を差し伸べてくれた。「僕は……月子になにもしてやれてないのに……」 今さらながらに僕は悔やんだ。もっと月子に踏み込むべきだった。気になることがあったのに不安と向き合うことを怖れて僕はそれを怠ったんだ。「なのに、月子はこんな僕にありがとうって……」 「あなたの好意が月子さんを守ったのよ。もし彼女が自分で自分を傷つけるようなまねをすれば、あなたと交わした――わたしは君を裏切らない――という約束に反してしまうから」 爽子は僕の背中に顔を埋めるようにして囁いた。「だから、彼女は今もきっと……」 その呟きを聞いて僕は黙ったまま空を見上げる。 あの台風の日、月子は自分の命さえ投げだそうとしていた。 なのに僕との約束を守るためだけに、それをあきらめて生きることを選んだのか。 今も癒えぬ悲しみを抱えたまま、それでも僕を悲しませないためだけに幸せを探すと約束してくれたのか。 彼女はきっと、その約束を守りつづけるだろう。沢木南月子とは、そういう娘なのだから。「わたしは君を裏切らない――か。まるで魔法の言葉だな。彼女はその言葉で僕を救い、自分自身をも守っているんだ」 「それだけじゃないわ」 背中から回された
「なにも言わずに一日つき合って欲しいんだ」 僕の唐突なお願いを爽子は快く聞き入れてくれた。 その日も晴天で、鮮やかな青空の向こうには霞のような雲が薄くかかっている、山間の道を抜ける風は爽やかで散歩をするには最高の日和だ。 あの日、学校で盗人扱いされて親父にまで殴られた僕は、家を飛び出して線路沿いの道を無我夢中で走り続けた。 その道を僕は今、再び辿っている。 僕が冴えない顔をしていたためか、爽子は僕の手をぎゅっと握り続けている。実際、それは僕に勇気を与えてくれていた。 道すがら今日までのことをできる限り詳しく爽子に説明した。あまり他人に聞かせたくない失敗も、もしかしたら爽子が怒るかもしれないことも、包み隠さずにできるだけ正確に伝えたつもりだ。 爽子はそれを静かに最後まで聞いてくれた。 子供の頃、転校していく彼女と僕は永遠の友情を誓い合った。だけど、そのとき僕たちは指切りはしていない。それは今日、あらためて爽子にも確かめてみた。 僕は爽子と爽子以外の女の子の記憶を混同させてしまっていた。その相手が本当は誰だったのか。どんな約束を交わしたのか。それを僕は確かめなければならない。 爽子の手を引くように、あるいは爽子に手を引かれるように歩いていく。 山中を通って線路脇を走り続ける長い道だ。急な勾配はないが、ゆるやかに上がり続けるか、下り続けるかを、ひたすらに繰り返している。古びたアスファルトはところどころ舗装し直されているが、ひび割れが多く、白線も薄れて消えかけているところが多い。 いくら我を忘れていたとしても子供の脚で動ける距離などたかが知れている。そう思っていたのだけど、当時の僕は呆れるほどのガッツ?を見せたらしく、それらしい場所には、なかなか辿り着かなかった。 それでも山をいくつか越えたところで、ようやく開けた場所へと辿り着く。 低い山を切り開いて作られた住宅地だ。周囲にはいくつもの田園が連なるように広がっている。 見覚えがあるというほど記憶は鮮明ではなく、昼夜の違いによって印象も異なるだろうが、体力的に考えても、ここを抜けて次の町に行ったとは考えにくい。 とりあえず闇夜
我がクラス最後のホームルームはやたらと盛り上がった。担任の先生には悪いのだけど月子に会っておきたかった僕は、ただひたすら早く終わってくれとばかり念じていた。 しかし、実際に終わったのは月子のクラスよりも30分遅れで、校庭にはまだまだたくさんの生徒が残っていたが、そこに彼女の姿はなかった。 後輩の女子に呼び止められて一緒に写真をとせがまれたので、そのついでに聞いてみたところ、どうやら月子は告白しようとする男子達から逃れるために、猛ダッシュで校門を飛びだしていってしまったらしい。 なんとも情緒に欠ける卒業式だと呆れる一方で彼女らしいとも思う。振り向くことなく前向きに突っ走っていくのが彼女のスタイルなのだろう。 しばらくしてから僕はようやく自分などが記念撮影をせがまれたことに気づき、遅ればせながら感動しつつ、卒業の余韻に浸っていると滝沢と田中が現れて、そこからまた大いに盛り上がった。 けっきょく二時間近くも校庭で時間を潰したあとで、お互いに手を振ってそれぞれに帰路へと向かう。 滝沢と花屋敷さんの大学は関西圏で、田中は関東だけど僕の大学からは遠い。それでも、ふたりとは落ち着いた後で連絡先の交換を約束したし、いずれまた会えるだろう。 残念ながら爽子の学校とは卒業式の日程がズレているうえに、今日は用事があるらしくて夕方まで会うことはできない。今から彼女の町まで行ったところで時間を持て余すように思えたので、僕は取り立てて目的もなく商店街へと足を向けた。 何度となく利用した書店やCDショップ。ファーストフードのお店に、たまに利用していた弁当屋。見慣れた街並みも、これで見納めかと思うと寂しさが込み上げてくる。 ここは地元の町以上に僕にとって故郷も同然になっていたようだ。 いつかまた来たいとは思うが、その頃にはきっと、いろいろなものが変わってしまっているはずだ。それは寂しいことだけど僕が高校で変わったように、街も変わっていくのが自然なことだ。そう思えば納得できないことではない。 そして、僕はいつぞやの映画館の前で足を止めた。 かつてホラー映画のものだった看板は、今はよく知らない洋画のものに変わっている。 思い返せば、ここでの
「結局、これが報いってものか……。神よ……僕は本当に愚かだった」 二学期が始まって間もない頃、ミュージカルの舞台俳優のように田中は身振り手振りを交えて天を仰いだ。「名演だ。完全に田中葉太になりきっている」「いや、当人だから」 花屋敷さんが滝沢のボケに突っ込んだ。田中は、それを無視してチラリと僕を横目で見ると演技(?)を続ける。「ああっ、滝沢のみならず、三日森にも美人の彼女ができて僕だけが独り身だなんて……」 名優田中は片膝を突いて両手を広げ、まるで神を呪うかのように言った。 それを半眼で見つめながら僕は思ったことを口にする。「ほっとくと、このまま歌い出しそうだな」「美声に期待させてもらうわ」 つづいて言ったのは花屋敷さんだ。 田中はガックリとうなだれたあと、恨めしそうな目で僕を見てきた。「お前だけはずっと独り身のまま歳を取って、寂しい晩年を送るものだと心の底から信頼していたというのに、この裏切り者め」「いや、そんな信頼はいらないから、お前も早く彼女を作りなよ」「作ろうったって、そんなに簡単にできたら誰も苦労しないよ。だいたい、お前らの彼女に釣り合うような女なんて――」 そこで言葉を止めると田中は月子を見た。 彼女は少し離れたところで別のクラスメイトと楽しげに話し込んでいる。 田中の視線を追いかけたところで滝沢は言った。「無いな」「うん、あり得ない」 花屋敷さんがつづけると田中は渋い顔をしたが、結局なにも言い返さずにうなだれた。 夏休みの間中に田中と滝沢の関係は修復されていた。どうやら田中が、きちんと頭を下げてあやまったらしい。そうなれば気の良い滝沢が許さないわけもなく、仲直りは思った以上にすんなりいったようだ。 僕としても殴った責任があるので田中に頭を下げようとはしたけれど、それは当の田中に断られてしまった。「ダチが間違ったことをしたんだから、殴ってでも目を覚
デートの当日は実に夏らしい陽気だった。 ほとんどの民家で、朝から室外機が唸りをあげて、エアコンがその存在意義をいかんなく発揮していることだろう。 家を出て坂道を見下ろせば、あざやかな青空の下には輝く海原が広がっている。入道雲を背景にして白いヨットが行き交い、砂浜にはすでに大勢の海水浴客が繰り出していた。 今すぐにでも彼女を連れて、そこに向かって駈け出したいところだが、まずはその彼女――七未貴爽子を連れてこなければ話にならない。 僕は逸る鼓動を抑えながら駅へと急ぐ。 通い慣れた坂道は太陽の光が降り注ぎ、焼けたアスファルトで陽炎が揺れている。 朝からこの陽気だと昼の暑さはたいへんなものになりそうだ。でも、だからこそ海水浴には最適だと思える。 電車に乗って彼女が現れる駅までおよそ30分。僕はどんな言葉をかけようかと、そればかり考えていて、彼女が来ない可能性については、ほとんど気にしなかった。 そもそもが電話番号さえ知らない相手との曖昧な口約束だったけど、他ならぬ月子の推察だ。外れているとは思えない。 不思議なことに名前を思い出して以来、爽子との思い出は次から次へと甦ってきていた。僕は電車の窓から覗く流れる風景の中に、それを映し出しながら時を過ごす。 大人しくて、どちらかといえば引っ込み思案だった彼女が、今のような強気な美人になるまでに、どんな時を重ねたのだろうか。それが有意義な時間だったことを願わずにはいられないが、その変化の中でも変わらず僕との約束を大事にしてくれていたのなら、それはこの上なく嬉しいことだ。 僕は長らく自分が不幸なつもりでいた。だけど本当は逆かもしれない。 爽子のような女の子に、ずっと想われ続けていたのだとすれば、これほど恵まれた男も希なはずだ。(まったく、ダセえ話だ) なんとなく滝沢ふうに内心で呟いてみる。 でも自分の愚かさには本当に苦笑するしかない。今まで僕は過去のトラウマを相手に、ずっと独り相撲をとり続けていた。 でも、まだ間に合うはずだ。 目的の駅に列車が止まり、約束どおり8時前に待ち合わせのホームに降り立った僕は、足早に階段を駆
若いカップル、恋人同士――そんな言葉が当たり前に思い浮かんだけど、そのまま言っても月子は怒らないだろうか。 いや、怒るわけはないけど僕の方が恥ずかしい。 少し迷った末に僕は朴念仁っぽい答えを返すことにした。「仲のよいクラスメイトかな」 「それだとムチャクチャ鋭い人たちってことになるわね。実態を言い当ててる」 気分を害したふうもなく自然に笑うと、月子は砂浜に向かって歩き出した。 その手を僕が掴む。「三日森くん?」 「頼むから、君は海へは近づかないでくれ」 強ばった顔で告げると月子は困ったように笑った。「いや、今日は大丈夫よ。天気もいいし、変な声も聞こえない」 「ダメだ。原因だって判ってないんだし、もし万が一のことが君にあったら……」 「そんなこと言われても、まさかこれから先、一生海に近づかないってわけにはいかないでしょ?」 「できればそうして欲しいくらいだ」 「いや、さすがにそれは、わたしがイヤなんだけど……」 月子が笑みを引きつらせても僕は手を放さなかった。 そんな僕を見て月子は困ったように笑う。「わかったわ。それなら手を繋ぎましょう」 「え?」 「もしわたしが変になっても三日森くんが手を握っててくれれば大丈夫でしょ?」 「それはまあ……」 浜辺を見ると風が強い分、波はやや高いが危険を感じるほどではない。僕は渋々頷いて手を放した。 月子はそんな僕を見て、はにかむように微笑むと、そっと手を差しだしてくる。 その手の白さに今さらながらに気後れしながら、それでも僕は手を伸ばして、そっと握り返した。月子の手は海辺の風にさらされていたせいか思ったよりも冷たかったけど、やわらかくて心地良い感触に僕は秘かに胸をときめかした。「じゃあ、行くよ」 月子は僕の心境に気づいた様子もなく、なにげない足取りで波打ち際に近づいていく。「濡れるよ」 「じゃあ脱ぎましょう」 平然と言うと月子は手にして